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ピアニスト、ピアノ教師、プロフィール(小学生編)

新しい街(山形市内、あかねヶ丘)に引越してきて、
早速、ピアノ教室探しが始まりました。
当時、ピアノ教室は、双葉町にある(現在、久保田)山形音楽教室しかなかったので、
そこに通うことになりました。
先生は、中村とき子先生で、声楽がご専門でしたが、ピアノも教えておられる
先生でした。先生は、基本に忠実でらして、楽譜の読み方の基礎に徹底的に
重きを置かれる先生でした。今でも、このやり方は間違ってないと確信しております。
西洋音楽は、楽譜を読譜する作業が一番の仕事です。リズムやメロディー、ハーモニーが
自己流だと成長に時間ばかりかかってしまい、ヨーロッパ音楽の本質を見失うことに
なります。声楽の専攻でらっしゃったので、特に伸びやかな歌うフレーズ感や、
ソルフェージュ、聴音のレッスン、また、生徒へのあたたかい接し方など、
人間味あふれる教え方は、声楽専攻ならではのものでした。

入って、2,3年の間は、タッチ(鍵盤の押し方)を重点的に直されました。
たとえ、幼稚園のころだけだったとはいえ、オルガンで勉強をしたので、
ピアノそのもののタッチが全くわからなかったんだと思います。
自分の出してる音がどんな音なのか、「捉える力もまだ、弱く」、なぜ、そこまで
注意されるのか、全くわかってませんでした。要するに「鍵盤でタッチする加減で
音に変化が起こることが、全くわからなかったんだと思います。」

ピアノ(アップライトのピアノ)も、中村先生につくとほとんど同時に買ってもらいました。
昭和52年(1975年)で30万円のKAWAIのものでした。
父が松坂屋(当時、丸久)に勤めていたので、丸久の催事で、辻楽器店のピアノ販売会があり、
そこで、買いました。当時、レッスンを続けられるかどうか、見極めがつかないのに、
30万円を出して、ピアノを購入するのは、両親にとって「大決断」だったと思います。
今思えば、もっと高いピアノで練習しとけば、もっと早く上達しただろうに…(笑)との、
思いもありますが、僕の家では、「これがベストの判断だった。」と思い返してもいます。
(僕は、欲深い子なので(笑)、我慢する力も養われました。でも、生のピアノで練習できたことは、
幸福に値すると思っています。やはり、「生」(アコースティック)は違います。音楽は(特にクラシックは
デリケートな感性を育むものだから、「生」で練習した方が、早く上達します。)
僕は、中学生になるまで、アップライトピアノ(縦型)で練習してました。
僕が、後に入ることになる、桐朋学園大学(とうほうがくえんだいがく)で、友人数人に聞いたところ、
アップライトからグランドピアノ(平型カーブ)に買い換えたのは、小学校5,6年生の頃、という答えが
圧倒的でした。みんな、その頃から、いわゆる「受験」や「専門的教育」を意識して、レッスンを受ける
覚悟を決めたことになります。だから、僕がそういう「意識」や「ピアノの買い替え」が標準的な
時期からは、多少遅れていたことになります。山形に入ってくる「情報」も少なかったですからね…
当時は、誰に相談してよいやら全くわからず、元来の「のんきな性格」もあって、
自分の将来のことなどあまり、よく考えもしないで生活をしてきました。
子供ながら、「うちでは、こんなに早くからヨーロッパ留学なんて、とても考えられない。」と一人
決め込んでいましたし。(^^ゞ

小学校4年生の時だったかなぁ…、ピアノが好きかどうかわからなくなる1回目のスランプがきました。
周りの学校の友達は、みんな、放課後、友達と遊んでいるのに、自分だけ、ピアノの練習のために
友達と遊ばないで帰ってくるのが「おかしい」と思ったんですね。友達と遊ぶことが、うらやましくも
感じました。当時としては、うちは珍しく、いわゆる1週間のうちの習い事があるのが、5、6日。
塾行ったり、書道、スポーツ教室など、ピアノ以外にも習い事をしてました。
今では、珍しくもなんともないですが、当時、そんな子は、存在しなかったのです。
少なくとも、「山形」では。
…話が逸れました。ピアノの練習ですね!毎日、練習しないで遊ぶことがどんなことだろう…、
すごく興味がありました。ピアノの先生に「とりあえず、1,2週間お休みをもらいました。
理由は告げずに。(^^ゞ」そして、遊びまくりましたが、なんか、変なんです。
毎日、練習してた…日課にしてたことが、急になくなってしまったので、物足りない気持ちとか、
さびしい気持ちとか、出てきたんです。その気持ちが、「遊ぶことの楽しさ」よりも上回っていたことに
自分で気がつきました。うちの両親は、音楽なんてちんぷんかんぷんな方なので、
ピアノを一旦休むことにしたときも、「おまえが好きにしたらいい」ってことしか言いませんでした。
これは、今でもそうです。「おまえが、好きにしたらいい。」この言葉は、僕にとって、最高の
自由で、独創的発想をする「源」になってます。と、同時に「自分の試練」でもあります。
成功しても失敗しても、全て自分の責任。自分の将来は、自分で組み立てなければなりません。
僕は、そうだなぁ…、「親が音楽をしている環境」ってうらやましいと思います。
「音楽」ってか弱いもの…だから。寄り添ってお互い励ましあって生きていけるのが「望ましい」かな。
特に、日本は「アジア」。東の最も端ですよ!!!!西の文化から、最も遠いんです。
周りから聴こえてくるのは、アジア(東方)的な色合いが最も強いハズ。ってことは、
西方的(欧米的)なものからは、最も離れているんです。…実に、こころもとない事実ではありませんか。
言葉、宗教、習慣、文化、街並み、美的感覚、気候…たぶん、表と裏くらい違ってるハズ。
やはり、親や知ってる人がヨーロッパ音楽に親しんでいる方が、精神的に本人は落ち着くでしょうね。
だから、親が子供に「音楽(今、聴こえてくる音楽はみんな西洋音楽を元にしてます。)」をさせたい
場合は、親がまず、CD聴いたり、FM聴いたり、インターネットラジオ聴いたり、YouTube聴いたりして、
子供が、抵抗なく親しめる環境を作ってあげた方が、子供は入っていきやすいでしょうね。
また、そういう雰囲気でないと、長続きを「子供だけに求める」のは、かわいそうだし、酷かな。
誰にも相談できる人がいないと「鬱ウツ」になったりしますから、要注意ですよ!!
僕も、ウツになりましたが、親の育て方が悪かった、とは思ってないですよ。
ただ、周りに音楽をしてる人がいない上に、友達を作るのが上手じゃなかった…自分の気持ちを
相手に伝えるのがヘタクソ。そんな、いろんなことが重なった結果だと思ってます。
でも、今は元気になりましたからね!!(ご心配なく)。(笑)。
また、話が逸れてしまいました。ピアノを休んでわかったことは、僕はピアノから離れたくない気持ちが
あるんだ、ということでした。それがわかったので、また、何事もなかったように、レッスンに戻り、
小学校を卒業するまで、おおらかな先生と2人3脚で、音楽を作っていました。
中学校に入って、さすがに、「こんなに呑気じゃだめだろう…」と思い、新しい先生につき、
ビシバシしごかれることになります。
ピアニスト、ピアノ教師、プロフィール(小学生編)_d0159273_5171040.jpg

続きは、(中学生編)で。
by shinonome-saitoh | 2010-07-23 05:33 | プロフィール